開発教育ってなんだろう?その2-Q15「開発」を加筆しました
2019年12月(Q8-14)、2023年8月(Q15)に内容を一新しました。
- Q8 国際理解教育とはどう違うの?
- Q9 持続可能な開発のための教育(ESD)とはどのように関連しているの?
- Q10 持続可能な開発目標(SDGs)をどのように捉えているの?
- Q11 どのように実践するの?
- Q12 「ファシリテーター」ってどんな人?
- Q13 参加型学習ってなあに?
- Q14 開発教育の「教材」ってなあに?
- Q15 開発教育の「開発」ってなに?
Q8 国際理解教育とはどう違うの?
「国際理解教育」とは、元々は第二次世界大戦後の1946年に設立されたユネスコ(国連教育科学文化機関)が提唱した教育活動です。その内容は、平和教育、人権教育、国連教育、各国理解であり、加盟国のユネスコ協働学校(現在のユネスコスクール)において主に実践されました。
その後、国際社会では東西の軍事対立に加えて、南北問題や環境問題など新たなグローバルな課題が出現しました。これを受けてユネスコは、1974年に「国際教育」の推進を加盟国に勧告します。この「74年勧告」は、正式には「国際理解、国際協力および国際平和のための教育ならびに人権および基本的自由についての教育に関する勧告」といいますが、これからの教育が取り扱うべき人類共通の課題として、民族、平和・軍縮、難民・人権、開発、人口、資源・環境、文化遺産などが提示されました。この勧告に示された内容は後のESD(持続可能な開発のための教育)に通ずる先見的なものでした。
しかし、日本の文部省(現在の文部科学省)は、ユネスコの74年勧告を正面から受け止めることはせず、「日本の伝統・文化への理解と尊重」「異文化理解」「外国語・外国語コミュニケーション能力の育成」などが強調された日本独自の国際理解教育が1990年代まで続くことになりました。
2005年からは「国連ESDの10年」が始まり、日本ではユネスコスクールを中心にESDを展開することになりました。そのため、文部科学省も従来の国際理解教育を「国際教育」という名称に変更するとともに、その内容もグローバルな諸課題を扱う教育活動になってきました。また、地球的課題やグローバル経済に対応できる「グローバル人材」の養成を強調するようになります。そのため、現在では開発教育、国際教育、ESD、グローバル教育と名称は違っていても、扱う課題や手法は相互に重なりあうものになっています。
Q9 持続可能な開発のための教育(ESD)とはどのように関連しているの?
「持続可能な開発(SD)」の考え方は1992年の国連環境開発会議(地球サミット)で国際的に合意されたものです。持続可能な開発のためには二つの「公正」が必要とされています。ひとつは「世代間の公正」であり、私たちの子孫のために地球上の資源や自然環境を残すというものです。もうひとつは「世代内の公正」であり、先進国と途上国の間の極端な経済格差、世界に広がる貧富の格差、そして、資源・エネルギー消費の格差を是正することです。前者のテーマについては主に環境教育が取り組み、後者は開発教育が取り組むテーマでした。しかしながら、持続可能な開発を実現するためには両者の教育活動を統合した「持続可能な開発のための教育(ESD)」の実践が求められることとなりました。
国連は2005年から10年間を「持続可能な開発のための教育の10年」とし、各国にESDの実践を求めました。開発教育協会は、ESDの10年に当たり3つの重点目標を立てて推進し、成果を上げてきました。
第1は、学校教育などでの実践を一層促進するためにESDカリキュラムを創りました。それは「地域を掘り下げて、世界につながるカリキュラム」です。これは地域の課題、国の課題、世界の課題をつなげながら、自分事としてそれらを理解し、参加していくような学習です。
第2は、ファシリテーターの養成です。自分と地域と世界をつなげる学習を推進できるような教員および地域リーダーを意識的に養成してきました。
第3は、ESDを通した国際協力です。フィリピン、マレーシア、タイ、韓国などのESD関係者と交流して、主にアジア地域でのESDの推進を図りました。
Q10 持続可能な開発目標(SDGs)をどのように捉えているの?
2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、持続可能な開発目標(SDGs)が設定されています。SDGsの17目標は、開発途上国の貧困、教育、保健などを改善するために、従来のミレニアム開発目標(MDGs)を引き継いだ目標と、地球温暖化、生物多様性、水資源などの持続可能な開発(SD)に関わる目標の二つの柱で構成されています。また、SDGsの目標4にはESDなどの推進の必要性を謳った項目(目標4.7)があります。従って、SDGsの達成のために開発教育を実践していくことは、基本的にはESDの実践を発展させていくことと同等であると考えています。
2020年度から始まる新しい学習指導要領の前文では、教育の目的について「一人一人の児童(生徒)が・・持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」と書かれています。そして各教科・領域でSDGsの内容を扱うように求めています。
他方、私たちは、持続可能な世界を実現する上で、「2030アジェンダ」に書かれている現在の持続不可能な社会の背景や構造を理解することが大切です。また、SDGsに掲げられた目標の意味を理解するとともに、17の目標が現在の問題のすべてではないことに留意する必要があるでしょう。また、SDGsを実施する際に「誰一人取り残さない」というSDGsの理念や前提が忘れられたり、SDGsの基本にある公正、共生、人権といった視点が抜け落ちるという懸念もあります。開発教育協会では、SDGsの理念やその実践のプロセスにおける課題の検討も含めて、「共に生きることができる公正で持続可能な社会」の創り手を育てる学習のあり方、そして、持続可能な学校や教育のあり方について、今後とも継続的に検討し、教材やカリキュラムの開発を行っていきます。
Q11 どのように実践するの?
開発教育は、私たち自身が当事者である地球的な諸課題に関して、どのように関わっていくのかを生涯にわたって問い続けるものです。地球的な諸課題をただ「眺める」のではなく、自らが学びの主体として、変革の主体として、それらの課題を学んでいきます。学びの方法や場所はさまざまです。
たとえば、学校教育の現場では、教科や総合的な学習の時間などにおいて、開発教育の実践が以前と比べて多く見られるようなってきています。また、国際協力NGOや地域の課題に取り組むNPO、国際交流関連団体、JICAの地域センターなどが主催する講座でも実践されています。他にも、公民館、図書館、博物館、PTAなどの活動として開発教育が取り組まれています。自治体の職員をはじめ、学校の教員や、社会教育施設の職員を対象とした研修でも実践されています。企業では、CSR(企業の社会的責任)活動として国際協力を推進する部門を設けて取り組んだり、組合活動でも実践されます。このように既存の組織や団体による実践だけでなく、自分たちでグループをつくり、学習会や研修会などを企画することもできます。また、家庭や日々の暮らしの中で地球的な諸課題について身近な人と話題にしたり、生活様式を変えていったりすることも重要な開発教育の実践です。
一人ひとりが、市民として自らすすんで学ぶ、という学びの本来の姿は、誰かが事前に準備?した学びに後からついていく、というものからは遠いところにあります。学びの過程を大事にする開発教育は、誰でもどこでも誰とでも実践できるものです。 開発教育では、どのように教え、どのように学ぶのかという教育や学習の方法を重視しますが、その特徴の一つは、参加型学習にあると言えます(参照:Q13 参加型学習ってなあに?)。開発教育は、持続可能な社会を市民参加型でつくっていくことを目指す教育ですから、学びのあり方も参加型になるのは自然なことなのです。
Q12「ファシリテーター」ってどんな人?
世界的に著名な教育学者のパウロ・フレイレは、教育には大きく二つあると述べています。ひとつは彼が「銀行型」教育と呼んだ「知識伝達型」教育と、もうひとつは「課題提起型(問題解決型)」教育です。
伝統的な「知識伝達型」教育では、教育者は学習者が何も知らない、何も知識を持っていないことを前提に、一方的に学習者に知識や規範を教え伝えようとします。これが行き過ぎると、いわゆる“詰め込み教育”となります。他方、「課題提起型」教育での教育者は、学習者一人ひとりが、異なる豊かな経験・知識・技術・アイディア・関心・パワーを持っていると信じ、そこから学びを始めます。
したがって、「課題提起型」の教育者の役割は「教える」ことではなく、「質問する(問う)」こと、学習者の考え・声を「聴く」こと、それによって学習者が持っている豊かなものを「引き出す」ことです。そしてグループの中で「対話」を起こし、教育者の持っている経験・知識も学習者のそれと組み合わせ、重ね合わせながら何が問題なのか、なぜそうなるのか、どうしたらよいかを「一緒に考え合う」ことです。 課題提起型教育では、参加者相互の学び合いを可能にし、学びを促進する役割を担う人を「ファシリテーター」と呼んでいます。英語の辞書で「ファシリテート(facilitate)」を引くと、「(仕事などを)容易にする、促進する、楽に運ばせる」とあります。「ファシリテーター」の主な役割は、学習者一人ひとりが参加しやすい環境や関係をつくることや、目的に応じて適切な教材を利用しながら学習活動を促進することです。しかし、「ファシリテーター」は、学習者によって提起される問題の答えや結論を持っているわけではありません。あくまでも学習者中心で展開される問題提起や結論のまとめに伴走する存在であることが原則です。
Q13 参加型学習ってなあに?
参加型学習とは、学習者の主体的な参加を重視する学習の総称で、いろいろな形態があります。例えば、開発問題に関する動画や映画を見て、開発や貧困の問題について話し合うことや、NGOのスタディツアーやワークキャンプに参加したり、地域を調査するフィールドワークに出かけたりすることも広い意味では参加型学習と言えるでしょう。文部科学省は、「平成29・30年改訂学習指導要領」において、「アクティブ・ラーニング」という言葉を「主体的・対話的で深い学び」として用いていますが、参加型学習はその基礎となる理念と実践です。参加型学習の「参加」には、主に学習活動への参加と社会への参加の二つの意味が込められています。
学習活動への参加とはワークショップを例にするとわかりやすいかと思います。開発教育では、ワークショップという、学習者によってモノや意見をつくりあげる形態がよくとられます。開発教育のワークショップでは、何人かのグループで課題について話し合い、何らかの成果を出して発表し合いますので、単に「お客さん」として座っていることはできません。自分の知識・経験や考えを他のメンバーと積極的に共有することが求められます。また、互いの意見や経験を共有するためには、学習者の間に安心感や信頼関係が必要なので、ゲームや身体を使った楽しい活動(アクティビティ)を行って、緊張感や不安感を取り除くアイスブレイキングと呼ばれる導入のための活動がよく行われます。
楽しくなければ学習者が主体的に参加することはできません。しかし、楽しく学ぶことが目的ではありません。楽しい活動の中から新しい発見や気づきを導き出し、また、自分と社会との関係について考えることが参加型学習では重要です。例えば、ワークショップを行っている間だけの参加だけではなく、学習者がそこで得た学びから、実際に社会が直面する問題の解決や課題の実現に向けて主体的に行動していくことを参加型学習は想定しています。参加型学習における社会への参加には、こういう意味が込められているのです。
開発教育を通して、持続可能な地球社会づくりに参加をしていくため、学習者が変革の主体となっていくことが参加型学習の目的です。
Q14 開発教育の「教材」ってなあに?
教材というのは、教育内容を教育者が教授していくための手段や媒介物を一般的に指します。本や映像、モノや道具などが教育目的のもとに利用されれば教材なのです。
開発教育教材とは、開発教育の目的のもとに利用される手段や媒介物になります。1987年に発行された『たみちゃんと南の人びと』(明石書店)シリーズは、子どもたちに途上国のことを伝えようとする先駆的な教材でした。また、同年に出された青年海外協力隊経験者たちによるスライド教材『地球の仲間たち』(開発教育を考える会)は1980年代に広がった東アフリカの飢餓のイメージを、「アフリカ」のステレオタイプとして認識した日本の子どもたちの状況に問題意識を持ち、世界中の子どもたちの日常の暮らしを映し出した画期的なスライド・写真教材でした。
1989年から9年間にわたって、開発教育協会(当時、開発教育協議会)主催の「開発教育ワークショップ」が開かれました。教師、社会教育関係者、NGO関係者、学生が集い、宿泊型で開発教育の目的や内容、方法の検討を通して教材作成をするワークショップでした。まだ具体的な開発教育の実践形式が確立されない中、このワークショップによって「バングラデシュ・ボックス」(1994年、開発教育協議会作成)「マジカルバナナ」(1999年、地球の木発行)「たずねてみよう!カレーの世界」」(2000年、開発教育協議会発行)などの開発教育教材が生み出されてきました。
その後、開発教育では写真やデータ、ワークシートなどを含む冊子教材が開発教育の「定番」となりました。開発課題に関する具体的な教育実践をするために、資料だけではなく、現在では広く使われている様々な参加型のアクティビティをカリキュラム化した進行表があります。初心者でもそれを用いて実践することができるように配慮されています。今日では、開発教育教材といえば、そうした冊子教材を主に指すと言えるでしょう。
デザインされ、作り込まれた便利な教材がたくさんありますが、そこに書かれている実践方法はあくまでも一つのカリキュラムモデルです。書かれている通りにやればよいわけではなく、実践する人が学習者の状況に合わせて、教材にある情報を用いながら豊かな実践をつくりだす手助けとなるものです。
Q15 開発教育の「開発」ってなに?
「開発」という言葉は今ではさまざまな意味で使われています。そのため、開発教育の意味する「開発」とは何を指すのかというご質問をよく受けます。
開発の用例を歴史的にたどっていくと、江戸時代までは食料増産のための「新田開発」の意味で使われていました。明治時代に入ると「産業開発」「工業開発」「経済開発」のように、日本社会を自給自足的な農村社会から西欧社会のような工業社会に移行させる「近代化」に関する用語として使用されるようになります。さらに、開発が、植民地支配で工業化が遅れた開発途上国を近代化する、という意味で使われるようになるのは1960年代の第1次国連開発の10年計画からです。
しかしながら、1970年代になると先進国から途上国に対して資金と技術を一方的に移転して経済成長を促すやり方に対して疑問や批判が出てきます。経済成長の恩恵が一部の支配層にしか行き渡らず貧富の格差を逆に拡大させたり、環境破壊を伴ったり、地元文化を破壊したりしたからです。そこで開発とは単に経済的な側面だけではなく、政治、社会、文化など社会構造全体に関わるという認識が生まれました。経済成長一辺倒の開発への反省から、1975年にダグ・ハマーショルド財団が「もう一つの開発」という考え方を提唱しました。それは次のような特徴をもっています。
- 開発の目標を経済成長ではなく、衣食住・教育・医療など人間の基本的なニーズの充足とすること
- 社会の内部の人々が自分たちの価値観に基づいて将来展望を決定すること
- 開発は当該社会の構成員や内部の資源を活用して行われること
- 将来世代の資源利用を考慮し、エコロジー的に健全であること
- 社会の成員がみな意思決定・政策決定に参加できること、です。
こうした特徴をもつ開発論は「オルタナティブな開発」と呼ばれ、その文脈のなかで「社会開発・人間開発」「参加型開発」「持続可能な開発」「内発的発展論」などの開発論が展開されました。
開発教育は、もともと第1次開発の10年計画の反省のなかから生まれた教育活動です。経済成長優先の開発の考え方を批判し、人間中心で内発的で環境、文化などに配慮した開発のあり方を模索するものでした。その意味で開発教育の「開発」はオルタナティブな開発論の文脈に位置づけられます。しかしながら、そのような理想的な開発は世界的レベルではいまだ定着していませんし、新しい開発論や開発戦略も発展途上にあります。Q1で述べたように開発教育は「共に生きることができる公正で持続可能な社会」をめざしています。そのような社会を実現するための「開発」のあり方を追求していくことも開発教育のひとつの目標となっています。
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ウェブ版「開発教育Q&A」 掲載日 2019年12月1日 発行:認定NPO法人開発教育協会(DEAR) 執筆・編集:近藤牧子・田中治彦・湯本浩之・中村絵乃 |
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