DEAR 開発教育協会

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震災からはじまる学び

<北海道|高校|国語・現代文> 授業レポート

実践者 北海道札幌啓北商業高等学校 磯貝純先生
科目 1学年「国語総合」(3単位)、3学年「現代文」(3単位)
※特別授業として、通常の授業とは別に位置づけて実施
日時 2011年4月26、27、28日の3日間
※校内においても公開授業として教員に告知
テーマ グローバル・エクスプレス 
教材 グローバル・エクスプレス『東日本大震災』(DEAR)

ねらい

  • 今回の大震災について、真正面からクラスメイトと向き合って真剣に語り合える機会を提供し、お互いの想いを感じさせる。
  • 「節電や寄付しか自分にできることはない」と考えている子どもたちに対して、それ以外にもできることがあるのではないかと考えさせる。

展開

各クラスで作成した「祈りの木」(作成後は各クラス教室に掲示)

※4人1テーブルで着席、10グループを編成し、教師が進行役を務める。

(1) あらかじめ編集した、生徒全員が書いた「大震災に際して考えたこと」プリントを配布、目を通させる

(2) 教材「わたしの気持ち」を全員に配布し、自分の気持ちに相当するものを3つ選ばせる(3分)
→各グループ内で発表(1分×4人)
→各グループでの意見を4人で共有し、グループ内の意見として簡潔にまとめる(1分)
→発表者はクラス全体に向けて簡潔に発表し、他の者はそれぞれのグループから発表される意見に耳を傾ける

(3) DEAR教材「応援メッセージ」を全員に配布し、目を通させる
→各自が「果実カード」を一枚ずつ手に取り、それぞれの想いを応援メッセージとしてカードに記入する
→記入した「果実カード」を、わたしたちが「今できること」のひとつとして『東北へ届け!! クラスの声』と題した「祈りの木」(あらかじめ模造紙で作成したもの)へ貼り付けて、完成させる。

生徒の声

  • このことを利用した犯罪やいたずらのチェーンメールなどがあったことが一番怒りを覚えた。そのことがショックだった。逆に義援金やチャリティー活動が盛んで、テレビなどでも精力的に活動していることに好感が持てた。
  • 世界中の人々が日本を心配してくれていて、日本を気にかけてくれている人だなと思いました。同じことが北海道でおきたら自分はどうすればいいのかなどを考えました。
  • 今回の東日本大震災では、最初は「地震があった」と軽い気持ちで考えていましたが、家に帰りテレビをつけると全て地震についてで、初めてことの重大さに気付きました。現在でも原発問題や避難所での生活をよぎなくされている人達もいます。そのことを頭の片すみにおきながら生活し、節電なども心がけて生きていきたいです。
  • 私は小さな頃に阪神淡路大震災にあっていますが、小さかったためキオクはありませんが、よく親には凄かったんだよとは聞きます。それをしのぐ地震だったと思います。原発の問題もありますし、これからの国の対応が気になります。そして被災者にお祈り申し上げます。
  • 始めて目にした大災害に正直最初は言葉も出ませんでした。今も多くの被災者の方が生活に苦しんでいると思うと、自分にできる援助をしたいという気持ちがより強くなります。無いのが一番ですが、いつかまた今回のような災害が起きた時には今以上の手助けが出来るよう、看護師になる夢を叶えたいです。
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実践者の声:DEARアンケートへの回答から

1. 震災を受けての生徒の様子

震災発生当時は3年生しか担当しておらず、卒業式(3/1)以後であったために震災直後の子どもたちの反応についてはわかりませんでした。ですから4月から新たに担当した生徒達に対して、震災をどのように考えているかを知りたかったので、授業最初の自己紹介プリントに「今回の大震災に際して、あなたが考えたことなどを教えてください」という項目を加えて記入してもらいました。

すると、短い時間しか与えなかったにもかかわらず多くの生徒が真剣に向き合い素直な気持ちを書いてくれました。普段生活している様子からはさして気づかなかったものの、個々には多くの想いを抱えているという、いわば当然のことなのですがそうした事実があらためてわかりました。

さらに私が感じたのは、今回の震災で子どもたちが「少なからず傷ついている」ということです。札幌は当日多少揺れたもののさしたる被害はありませんでした。しかしながら東北の甚大な被害を報道で目にして、多くの子どもが「自分も何かしなくては」との思いにかられていました。にもかかわらず何もできない無力な自分に負い目を感じ、傷ついている。そういう子どもたちが少なからずいる、ということが私には感じられたのです。大人である私でさえどうしてよいかわからないこの状況にあって、きみたちが何もできないことは罪なことではない。そして、本当に「何もできない」のだろうか。「私にできること」とは節電や寄付だけだろうか?ということを一緒に考えたい、と思いました。

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2. 震災についてどのような授業をやったか/やっていないか

まず第一に、震災についての想いをお互い語り合い、共有させてあげたいと考えました。仲の良い友人同士の世間話としてではなく、同世代のさまざまな仲間と今回の震災について真剣に語り合える場をささやかながらも作ってあげたい、との思いです。

そして、長い時間をとれない中での実施だったので何か「形も残してあげられたら」という思いもありました。今回の震災に際して「いま私にできること」は何か、との重く難しい課題に対する、私なりのさしあたっての回答がこの授業の実施でした。つまり、私自身の「いま私にできること」のひとつとして、この授業を行いました。

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3. 授業をやるにあたっての課題

ワークショップ形式の授業を経験したことのない子どもたちにいきなりお互い語り合わせたため、うまく進行できるかという不安がありました。またクラス替えをしたばかり、入学したばかりで友達にも慣れていない状態(もちろん教員である私にもまだ慣れていません)でランダムにグループ編成をして行ったので子どもたちも大変だったと思いますが、それにしてはがんばって取り組んでくれました。

教科書の教材と絡めるのは、教材を選べる状況下にないとやはり無理があります。自分だけで計画して行えるような授業(少人数の選択授業など)と違って、他の教員と進度を合わせて行う授業では、そう教材と絡められる場合は多くはありません。私の場合は、「自分の意見を発表する」「人前で話す」などの教科の持つテーマ(コミュニケーション能力関連)と絡めて実施したという感じです。

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4. 生徒に必要だと思う教育的な取り組み

子どもたちの心の中にある想いを引き出してあげられるような場を創り出すこと。普段何も言わない子どもでも当然ながら抱える想いがないわけではありませんから。そしてメディアリテラシーの育成。溢れかえる震災情報を偏らずに読み取らせる取り組みの必要を感じます。さらに思うことは、わたしたち教員が子どもたちの想いをより正しく受け止めることの必要性です。これが案外できておらず、身近な大人としての責任を私自身も感じています。最も「生徒に必要」な教育は、わたしたち教員の側にあるのかもしれません。

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5. そのほか

「いま目の前にいる子どもたちに対してできることは何か」と考えながら、今回の授業は計画・実施しました。たいしたことはできていませんが、まずは実施を試みることが大事ではないでしょうか。「子は社会の鏡」と言いますが、その子どもの姿をもとらえきれない、或いはとらえようとしない大人の存在は問題です。子どもに寄り添う職に就く身として、厳に謹み研鑽しなければという思いです。私自身は、震災に関わる取り組みはこれからもずっと続くことになると思っています。続けるべきだと思っています。

また、ワークショップを行ったその後の1年生の授業では、教科通信を活用して「言葉の力」という視点から子どもたちに話題を提供しています。震災に際して、さまざまな言葉が人々の心を癒し、慰めもしました。国語科という教科の性質上としても、これを言葉をあらためて見つめ直す機会としてとらえ、今後も子どもたちに考えさせてあげたいです。

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