DEAR 開発教育協会

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食 <解説編>
食料自給率が低いことがなぜ問題か
大野和興 農業ジャーナリスト

私たちはなぜ、日本の農業を守らなくてはならないのだろうか。自給率は低くとも、充分なだけの食料が輸入され、それどころか輸入品の方が安く手に入りさえする。輸入さえし続けることができれば、それでよいのだろうか。「農業」の意味、日本の農業を守ることの意味を、今一度考えてみたい。

なぜ日本に農業が・・・

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僕の友人に山下惣一さんという人がいる。佐賀県唐津で、農業をしながら小説やエッセイを書いている人で、有名な農民作家である。彼が面白い話をしてくれた。東京のある市民団体が主催した講座によばれたときのこと、彼が話し終わって質疑の時間に入ったとき、前列にいた若い女性が、手を挙げた。「お話、たいへんおもしろかったのですが、よく、わからないことがあります。なぜ日本に、農業がなければいけないのでしょうか」。

山下さんからこの話を聞いて、うーんとうなった。すぐには、説得力のある回答が浮かばなかったからだ。よく知られているように、日本の食料自給率は国民の摂取カロリーで見て40%ほどである。これは、世界の国々の中でも、最低のクラスに属する。それにもかかわらず、日本の人々は十分に食べている。むしろ食べ過ぎて、健康を害しているという状況すらある。別に国内に農業はなくても困ることは何もないではないかと言われれば、そうですね、とうなずくしかない、そんな現実がある。食料自給率が低くても、いま国民は何も困っていないのである。

多くの日本の人々はこのことを当たり前のこととして受け取っている。食べ物はいつでもどこでも手に入る、とみんな思い込んでいるのだ。だが、この状況は、いくつかの前提があって初めて成り立っている。そのことが忘れられている。

ではその前提と何か。第一は、外国から食料を買う金がこれから先も十分にあるということである。これは日本と世界の経済はこの先どうなるのかということにかかわる問題であるから、いろんな説があり得る。しかしこの先、いつまでも日本の経済が好調であるという保証はどこにもない。むしろあらゆる指標が、日本経済のこれから先は決して明るいものではないということを示している。この前提は、日本経済のこれからに対して、きわめて楽観的な立場に立って初めて成り立つものなのだ。そんな危うい前提の上に立って、食料問題を考えていいのかどうか。極めて疑問だ。

前提の第二は、世界には日本が好きなだけ買える食料が十分にあるというものだ。これもまたきわめて怪しい。人口の増加や環境の悪化、など食料をめぐる環境はいま急速に悪化している。世界にはいま、八億人の飢餓・栄養不足の人がいる。しかも人口は増え続けている。飢餓・栄養不足の原因は富の偏りという社会経済的な問題も大きいが、人口の問題も切り離しては考えられない。その上、食糧生産の基盤である自然資源が急速に壊れてきている。砂漠化、土壌の劣化、水不足などだ。

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危うい前提

食 食

そして実はここが大事なのだが、日本が食料輸入に精を出せば出すほど、いまあげた二つの前提がますます危うくなり壊れていくことに、僕たちは注目する必要がある。まず第一の前提。一億人が食べる食糧の六割を輸入するためには相当の外貨を稼がなければならない。そのためには地球規模に拡がる市場経済の網に乗って生産拠点を世界に散らばせ、世界に売りまくり、そこから得られた果実を持ち帰ることが必要になる。

その結果起こるのは、国内の経済の空洞化である。製造業の海外移転に伴って、雇用は縮小し賃金もダウン、国内の購買力は小さくなり、経済を縮小させる。輸出するためには、輸入をしなければならない。農産物の輸入がますます増え、農家経済は縮小、それは、地域経済の衰退を招き、人々の暮らしの足元を空洞化させる。日本の経済を活性化させようとすればするほど、人々の暮らしは揺さぶられ、逆に経済は衰退していく、という悪循環に今、日本の経済が入っているのである。

第二の前提についても、同じことが言える。日本が農産物を輸入するということは、例えば輸出国である途上国にとっては喜ばしいことである、という風に一般的には受け止められている。だが、世界の現実は、それほど単純ではない。たとえば、日本の豊かな消費者のために熱帯果樹や野菜を作り、輸出する途上国を例に考えてみよう。本来、その地域に住む人々の食料生産を優先しなければならない土地資源も、先進国の消費者のために使用する、という問題が発生する。その弊害を最も受けるのは、輸出地域の貧しい人たち、さらにその中でも、老人や子供たちである。

また、農産物を輸出するということは、土と水を輸出するということと重なる。土からとれたものは土に返す、これが物質循環の基本であり、自然資源を衰退させないための鉄則である。しかし現実には、農産物は、地球規模で遠距離を移動し、行った先々でゴミとして廃棄される。しかもそのゴミは生産地の土から吸収した窒素をたっぷり含んでいる。窒素は消費地で環境に排出され、土や水を汚染する。

生産現場では、先進国の消費者に気に入られる作物を作るために、農薬をかけ、さらに遠距離輸送による腐敗や変色、カビなどに耐えられるよう化学処理される。ここでも輸出のための農業が環境に大きな負荷をあたえる。同時に、農薬や輸送・貯蔵のための化学物質使用は、食の安全性を損なうという問題を発生させる。さらに、長距離輸送や低温貯蔵のために使われるエネルギーも莫大である。僕たちが輸入農産物を食べるたびに地球温暖化が進む。地球規模で拡がる市場経済は、農業と食料を巻き込んで、外の環境(自然環境)と内の環境(体内)の二つの環境破壊をもたらしているのである。

以上のことから得られる結論は一つである。日本が食料輸入を増やせば増やすほど、これまで大量輸入を可能にしていた条件が、国内的にも国際的にも崩れてしまう、ということだ。しかもそのしわよせは、すべて弱者に集中する。

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「それぞれの農業」「それぞれの食」を取り戻す

食 食

ではどうすればいいのか。僕たちが陥ったこのジレンマを解決するには、その地域でとれたものでその地域の食生活の基本はまかなうという、人類が長い歴史の中で作り上げてきた農と食の基本的な関係を取り戻すしかない、と僕は考えている。そもそも農業とはどういうものか、というところに立ち戻って考えてみたい。

農業生産は自然の力なくしてありえない。土の力であり、お日様の力であり、水の力である。そしてこれらはすべて、人間が作り出せないものばかりだ。また自然は地域ごとに違った現れ方をする。温帯、熱帯、砂漠、といった大きなわけ方があるし、日本では昔から谷一筋が違えば自然もまた微妙に異なるということが言われてきた。

つまりこういうことだ。地域ごとにそれぞれの自然がある。その自然に即して地域ごとにそれぞれの農業がある。日本では、昔から同じダイズでも地域ごとに独特の品種があった。いわゆる地種だ。地域の自然が育てたものである。同じように農業技術、作物の作付け体系なども地域の地形や日照、雨量などによって千差万別だった。こうしたそれぞれの農業が育て収穫した農作物を基礎に、地域の食文化が生まれた。材料の使い方、調理の仕方、器への盛り方、食べ方、どれをとっても地域性があった。こうしてつくられた農と食をもとに歌や踊り、祭礼、さまざまの行事、といった文化が花開いた。それぞれの地域に、それぞれの自然、それぞれの農業があり、そこにそれぞれの食ベ方、それぞれの文化がつくられる、これが世界に通底する人の営みであった。

いま、地球規模の市場経済化、いわゆるグローバリゼーションのなかでこの「それぞれ」が解体され、あらゆるものに画一化が進行している。農業の場合はとてつもなく巨大で、すべてが効率を尺度として組み立てられているアメリカ型農業がスタンダードになっている。市場競争の中で唯一生き残ることができるのは、こうした農業だからだ。その陰で、「それぞれの農業」は消え去ろうとしている。アジアで、アフリカで、中南米で、ヨーロッパで。アメリカでさえ、アメリカそのものの象徴とさえいわれた家族農業、あの「大草原の小さな家」の世界は、古きよき時代の語り草となった。

もう一度「それぞれの農業」「それぞれの食」を取り戻そう―-こんな試み、実践がいま世界中で始まっている。なかでも日本の村や町で農民や都市生活者の手で取り組まれている数々の実践は、そのもっともすぐれたモデルを作りつつあるのではないかと、僕は思っている。

例えば、単一の作物を大量に作って大消費地に届ける農業を脱皮して、さまざまな作物を少しずつ作り、これまで目を向けなかった地元の消費者に届けようと、自ら小さな直売所や小さな農産加工を手がける農村女性の実践は、全国で数万を数える。村と町の人が組んで地元の農業と地元の台所を結び、有機物が循環する地域づくりをめざす動きも数多く出てきた。これに地域通貨を組み合わせる事例もある。従来の安全性追求の有機農業を一歩進め、田んぼや畑の中、そのまわりの里山、畦、水路に生きものと共生することをめざす環境創造型農業を試みる若手農民が各地でがんばりだした。生き方としての農業を選ぶ都市生活者も多い。こうした実践をつなぎ、人々の自立したくらしを少しずつでも積み上げていくことで、グローバリゼーションに対抗する軸ができるはずだ。そんな難しいことはいわなくても、それは実に楽しいことだということはまちがいない。

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DEARニュース111号(2004年10月)特集より一部再編集のうえ掲載
※ 著作権は(特活)開発教育協会が保有しています。無断で転載や複製を行うことを禁じます。

■大野和興
1940年生まれ。ジャーナリスト。アジア農民交流センター世話人・脱WTO草の根キャンペーン事務局長。村を歩きながら現場での農民との共同作業をこころがけている。主著に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『アジア小農業の再発見』(同)、『あぶない野菜』(めこん)、『日本農業を考える』(岩波ジュニア新書)など。

■参考図書
大野和興著『日本の農業を考える』(岩波ジュニア新書)

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