DEAR 開発教育協会

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戦争・平和 <解説編>
Talk for Peace~開発教育から平和を築く学びを考える
岩崎裕保 開発教育協会副代表理事

解説編-talk for peace!  実践事例-戦争と女性を考えるワークショップ 

構造的暴力と積極的平和

開発教育は社会的公正という視点から地球的な諸課題を考えるということ、そしてその解決に向けて行動するということが基本にあります。1970年代の初めに、ローマクラブが『成長の限界』(ダイヤモンド社、1972)を指摘し、人びとは宇宙船地球号には補給をする港がないことに気づきました。『限界なき学習』(ダイヤモンド社、1980)の中では、資源に限界はあっても学習に限界はないとローマクラブは展望を示し、学習を革新するためには「先見」と「参加」の両方が必要であることを強調しています。学習の内容のみならず、その方法との調和を図ってきたという意味において、開発教育は新たな地平を拓いてきました。平和について考え学ぶに際して、知識や情報、規範や価値観の注入や押し付けではなく「平和的に学ぶ」という学び方自体が、良質の深いメッセージとなります。何を学ぶのかということだけでなく、いかに学ぶのかということが、同じように大切なのです。

開発教育は、貧困問題・南北問題・格差問題・人権侵害・栄養失調といった地球社会の抱える根本問題を学習の中心課題としています。こうした問題をノルウェーの平和学者のヨハン・ガルトゥングは「構造的暴力」と名づけました。当時、平和とは戦争がない状態であり、戦争がなくなりさえすれば世界は平和になると考えられていました。アメリカと旧ソ連の東西両陣営が厳しく対峙する時代の中で、ガルトゥングはそうした平和を「消極的平和」と呼び、戦争に代表される「直接的暴力」だけでなく、「構造的暴力」の問題も解決しない限り、「積極的平和」が訪れることはないと提唱したのです。構造的暴力。これを解決していくことが、開発教育を通じて私たちの目指そうとする平和への道となります。

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「9.11」とアメリカ社会

たとえば、2001年9月に米国で起きた「9・11」事件は、3千名近い人命を瞬時に奪い去るという大惨事でしたが、この直接的暴力の背景には、構造的暴力があるのではないかという視点や分析を開発教育では重視したいと思います。こうした観察力を持つことができれば、メディア報道に左右されずに、この事件の原因や背景を認識し、そこから得た教訓を平和的な問題解決のための「学び」や実践に結びつけていくことができるのではないでしょうか。「9・11」は世界の現実を人びとが直視する大きな機会になりましたが、それに対する各国の対応は大きく異なりました。世界の多くの国々が、武力による問題解決に反対や慎重の態度を見せる中で、「9・11」後の米国政府のとった一連の行動は、平和に対する私たちの認識からは程遠いもので、直接的暴力によって暴力の連鎖を再生産していると言わざるを得ません。米国は軍事的・経済的な覇権によって今や「帝国」となりつつあるとの指摘もあります。『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、2001)には「すべての富のうち、6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です。」と端的にその事実が述べられています。また、米国は世界一の軍事大国で、もっとも強力な大量破壊兵器・生物化学兵器をもっとも多く持っています。さらに、「京都議定書」からの離脱、国際刑事裁判所設置に反対を表明している他、今日に至っても「子どもの権利条約」を批准していない国家のひとつです。

2002年11月発行の「New Internationalist」誌351号によれば、このような米国の姿勢は、米国内の不平等・貧困をはじめ、社会保険といった面に以下のような状況を生み出しています。もっとも豊かな10%の人口ともっとも貧しい10%の人口の収入格差は40.8で、この統計をとった112か国中71位(トルクメニスタンと同じ)です。ちなみに1位はスロバキアで18.2、日本は5位で24.9、英国は48位で36.1、インドは37.8で55位、最下位は62.9のシエラレオーネとなっています。また米国では3100万人が貧困の中にあり、この数は2000年以降増え続けています。そして実質賃金では1973年よりも12%目減りしています。2000年には3870万人が保険なしで暮らしており、2002年3月には医療関係者でさえ保険に入っていない人が136万人もおり、その数は1998年の98%増となっています。

こうした米国内に関わる状況は「話し合い」によるルール作りこそが唯一の解決への道です。「道こそが平和だ」という言葉があります。平和は遠くにあって目指すものではなく、平和裡に物事を進めていくことの大切さを言ったものです。ここには平和のための戦争はありえません。話し合いに参加することは独善からは程遠く、多文化共生、民主主義の道を実践することになります。映画化もされた小説『カラー・パープル』でピューリッツァ賞を受賞した米国の作家アリス・ウォーカーさんも「人間は知性があるので、爆弾を落とすのではなく、話し合いができるはずです。」(2003年5月19日、朝日新聞)と言っています。私たちがよって立つところはここです。平和とは戦争という直接的暴力のない状態を指すのであれば、平和を作り出すために爆弾を落とすという直接的暴力行為を行うことは明らかに矛盾します。

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もうひとつの悲劇

「9・11」以降の米国政府の対応や米国の国内状況を、平和や構造的暴力という観点から見てきましたが、別の観点をご紹介するためにも、あるニューズレターに載っていた次の記事をここに採録します。

9月11日、もうひとつの悲劇
犠牲者数 36,615人(FAOによる)
場所 世界の貧困国
場所 なし
この悲劇に関するテレビの特別番組 なし
新聞報道 なし
各国国家元首からのメッセージ なし
この危機に対する組織による声明 なし
連帯メッセージ なし
黙祷 なし
犠牲者への追悼 なし
特別なフォーラムの呼びかけ なし
法王からのメッセージ なし
株価の変動 なし
非常事態警報 なし
軍隊の動員 なし
報道関係による、この犯人についての推測 なし
この犯罪についての責任者と考えられる者 世界的な資本家階級

36,615人という犠牲者数は何の数字かお判りでしょうか。この数字は、その1日だけで餓死した子どもの数です。ユニセフのホームページによると、毎日、数百万人の子どもたちが、貧困と経済危機に苦しみ、飢えにさいなまれ、家を失い、病気に罹り、教育を受けられず、劣悪な環境に苦しんでいます。特に途上諸国の中でもっとも発展の遅れた国々で、債務や永続可能性を無視した開発が引き起こした深刻な問題によって、子どもたちが苦しんでいます。栄養失調とエイズなどの病気、不潔な水、劣悪な衛生状態、麻薬の影響などによって、毎日およそ40,000人の子どもたちが亡くなっています。

「9.11」以降、アフガニスタンやイラクへの軍事攻撃の陰で、世界はこうした「静かなる緊急事態」の重要性に気づかず、関心をあまり示してこなかったというのが実情です。先に言及した通り、ヨハン・ガルトゥングは開発の問題と平和の問題をつなぎ、それを構造的暴力という言葉で説明しました。構造的暴力は国家の枠で説明がつくものではありません。暴力的な構造が国家対立であるかのように見えても、構造的暴力は国家の枠に関わりなく存在しているのは、南北問題も同様です。たしかに豊かな国家、貧しい国家という区別は一応はつけられますが、国家内における南的な存在は、米国を含めどの国家にもあります。上述の「もうひとつの悲劇」は世界各国の「南」の事実なのです。資源やエネルギーの流れを見れば「北」が「南」を必要とし、「南」が「北」を養っていることが分かります。世界はけっして相互依存状態ではなく、依存状態はあきらかに偏っているのです。開発教育はこうした現実に気づく機会を提供する学びを具体的に提案してきました。それは、この地球社会がかならずしも公正な社会ではないから、どのようにすればより公正な社会に近づけるのかを考え、行動を起こしていこうとする態度や価値の養成まで担おうというものです。

人間の平等を謳った不朽の名著『橋のない川』の著書である住井すゑさんが1989年4月16日に話された「生きているうちに老化はない」(『人間宣言』光文社、2002)の中で「自分の国土だけを豊かにしてそれでいいか。・・・国家解体論が21世紀の主要テーマになる。・・・地球あっての国家ですね。」「どこの国の人も、その国の人間を産もうとは思っていないんです。『当たり前の人間を産みたい』と。」「人間の命を守ることを文化というんです。・・・人間の生き方に二つあります。文化的生き方か、武力的生き方か。」と言っておられます。開発教育は中立ではなく、文化的生き方の側に立つことを選ぶ教育です。しかし、それはスローガンを教え込むことではなくて、学びの主体者が選ぶことです、というスタンスを開発教育はとります。この『人間宣言』で住井さんと対談をしている永六輔さんが、美輪明宏さんの「人間というのは、冷たい頭と熱い心を持ってなきゃいけない。」という言葉を紹介しています。豊かな感性を持ちかつ冷静に考えられるということは、開発教育だけが求める人間性ではありませんが、改めて強調しておきたいことです。

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「和解」の道をさぐって

今年の1月以降の「同時多発反戦デモ」は米軍のイラク攻撃を止めることはできませんでしたが、国際協調主義の意味を気づかせてくれたことは否めないでしょう。そしてそのデモが世界の思潮として孤立したものではなく、植民地解放・反核・反公害の運動と連なり、経済のグローバリズム・食品の安全・公共の福祉といった議論を活発化させることにも役立っています。『世界 緊急増刊号No War! 立ちあがった世界市民の記録』(岩波書店、2003)の中の梶村太一郎氏のレポートによれば、ドイツのでは登校した学生たちが学校からデモに出かけて行ったことに対して大半がそれを容認したということです。そして「建前はともかく、多くの教師達は生徒達の行動を、教育の成果として内心満足し、誇りに思っているのが実情だ。それはなぜなのか。答えは簡単だ。この国では、授業法として小学校から『対話と議論』を民主主義教育の基本としている。論証された自主的判断と行動は称賛されるのだ。・・・国連憲章を踏みにじるブッシュ政権のイラク攻撃は到底容認できないのだ。自分たちの平和と将来に対する暴力的挑戦だと受け止めている。・・・翌日からこの日の体験が授業のテーマとなり、多くがイラク戦争に関するレポートを宿題として提出している。総て脱イデオロギー化したリベラルで根強い『湾岸戦争世代』が登場しつつあるようだ。」とのことです。日本とドイツは違う、という声が聞こえてきそうですが、なぜ違うようになってきたのでしょうか。「ヒトラーのひ孫の世代が、アメリカに対してジェノサイドの非難をする」(梶村)ことができるようになったのは何によってなのかを学び、私たち日本の社会は「和解」の道を探っていかなければなりません。今からでは遅すぎるといって放置することはできません。教育を通して「和解」について学び、その方法を身に付けていくことは決して遠回りではありません、特に学びの内容と方法の調和を求め、実践をしてきた開発教育にとっては。

『もっと話そう!平和を築くためにできること』開発教育協会発行(2003)より一部再編集のうえ掲載
※ 著作権は(特活)開発教育協会が保有しています。無断で転載や複製を行うことを禁じます。

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